Vol.9
15 January 1997

おとこ二人のザンジバル旅行

クリスマス前から正月にかけて、安江さんと二人でザンジバルに出かけて来ました。前にちょっとだけ書いたインド洋に浮かぶ島です。キリマンジャロ空港からプロペラ機ですが直行便があり、年末年始の休みにダイビング三昧に浸ろうと企んだのですが…。


プロローグ

12月24日、出かける直前に受け取ったクリスマス・カードやe-mailによると、日本に住む我が友人の中には、クリスマス・イブというのに家でケーキを食べる Y.T. さんとか、バイトに明け暮れる N.T. さんみたいな人も多いようで、インド洋にダイビングに行く僕は密かに「勝ったな」とか、旅の相棒の顔を見て「やっぱりそうでもないか」等とつまらないことに思いを巡らせていました。

キリマンジャロ空港を飛び立った飛行機はちょうどサメ上空、プロジェクトの直ぐ上を飛びます。プロジェクト・サイトのあたりはひときわ植生が薄く、「うーん、やっぱりここに木を植えるなんて大それたことなのかもしれない。」それ以外には大して見るものも無い1時間あまりのフライトの後、ヤシの木が生い茂る南の島、ザンジバルへ到着です。


ザンジバルのバスはオープンです。

例によって同じ国なのに入国審査を受け、税関の荷物検査を受け、湿った暖かい風の吹く外へ出ました。もっと辺鄙な空港かと思っていたら、なんと国際線まで就航している結構にぎやかな所なので少々驚きました。値段交渉の後にタクシーに乗り、予約してある東海岸のリゾート・ホテルへと向かいます。

ホテルは2年前の年末にやはりモシに住む日本人の人が利用していて、とてもよかったと聞いた所です。イタリア人の客が多く、年末年始にはイタリアから若い女の子がアルバイトに来るそうです。目がぱっちりした女の子が好きな安江さんは、予約する前から

 「野田さん、部屋はシングルにしましょう」


と言っていましたから、ひょっとするとあらぬ妄想を抱いていたのかもしれません。

ホテルはファックスで予約しました。入手したパンフレットには「ファックスを入れて3日経っても返事が無ければ予約は確認できたと思ってくれ」と書いてあります。年末で混むかもしれないので、念のため確認しようとしましたが、その後タンザニア国内の電話事情が悪いせいか連絡が取れず、まあファックスは流れていったんだから大丈夫だろうと判断していました。

空港を出たタクシーは豊かな田園地帯の一本道を走ります。ヤシの木、水田、そしてパンの木なども植えてあります。フィリピンに長くいた安江さんは「まるで東南アジアみたいな風景だなあ」と言っていました。でも途中からちょっと痩せた土地に変わり、起源が隆起した珊瑚の石灰岩であることを窺わせます。農地が消え、貧弱なブッシュが続くと道路は海沿いに出ます。空港から1時間弱、目的のホテルの前に着きました。

でも様子変です。外から見るとなんだか寂れた感じがします。ホテルへの入り口のゲートは閉まっており、門番もいません。

「?」

タクシーのドライバーが、近所にいたおじさんにスワヒリ語で聞いてくれました。

「ああこのホテルは1年前から閉まっているよ。」

絶句。

予約の確認が最後まで取れなかったので、何かトラブルが起るかな、とは覚悟していましたが、まさかホテルそのものが営業をしていないとは。この時安江さんの脳裏の、ラテン系の若い女の子の虚像がガラガラと崩れていく音を聞いたような気がしました。

しかたなく近所にある別のホテルをあたってみました。タマリンド・ホテルという名前のこちらはドイツ系。食べ物がいまいち、と聞いたことがあります。

「部屋はある?」

「今晩はありますが31日は一杯です。」

くつろぐ安江さん大晦日に追い出されてもかなわないと、もう一軒あたることにしました。タマリンド・ホテルからは5kmほど離れていたでしょうか、こちらはチュワカ・ベイ・ホテルという名前です。こちらの経営はインド系です。こちらもやはり大晦日は一杯でしたが、日が暮れかかって来たこともあり。とりあえずここに落ち着くことにしました。


クリスマス・イブ

さてこの晩はクリスマス・イブとあってホテルの夕食は戸外でのビュッフェ。ヤシの木が植え込まれた庭にテーブルが並べられ、肉や野菜の料理が出ました。ちょっと風が強かったのですが、ヤシの葉のざわざわいう音や波の音は、それなりに雰囲気のあるものでした。リゾート・ホテルというにはいささかメニューが慎ましいものでしたが、宿泊料が朝食込みで2人分約50ドルですから、まあもんくは言えません。本当はイタリア系クリスマス料理にありつく予定でしたが…。

さて食事をしていると庭の一隅に火が焚かれ、伝統的な腰蓑を付けた数人を含む男女の一団が出て来て火の周りでドラムに合わせて歌い踊り始めました。彼らは彫刻で有名なマコンデ族だそうです。マコンデ族は本来南部、モザンビークとの国境に住んでいるはずです。ザンジバルへはモザンビーク内戦の時に戦火を逃れてやって来たのでしょうか。

タンザニアの観光地のホテルでは余興として伝統的なダンスを見せる所が多くあります。僕らを含むこの夜のお客さんも、そのつもりで拍手を送っていました。でも民族衣装を着ているのは数人、残りは全員普段着です。その上子どもまで混じっています。それに気付き、なんだかショーにしてはおかしいな、とは思っていました。

その内食事を終えた宿泊客が僕らを含み全員引き上げてしまいました。観客はいなくなりましたが、それでも延々と歌と踊りは続いています。それでわかりましたが、どうやらこの踊りはお客さん向けではなく、近所の人がやって来て自分達が楽しむために踊っていたようなのです。

宿泊の手続きをしている時、マネージャーがしきりに

 「うちのサービスはローカルだから」

と言っていましたが。うーん、そういうことだったのか。でもホテルの敷地に自由に入ってきて踊るって、どういうことだろう?


ダイビングはいつできるの?

カニ
ホテルの前のビーチにいたカニです。

僕がザンジバルに来たかった一番の目的はダイビングです。スキューバー・ダイビングの資格を安江さんも僕も持っています。ただ、安江さんは資格を取ってから一度も潜っていなかったので不安だったそうです。

宿泊したホテルにはダイビング・サービスはなく、隣りのタマリンド・ホテルに電話で申し込みました。しかし申し込みをしてからがなしのつぶて、痺れを切らせてマネージャーが車でタマリンド・ホテルまで一緒に行ってくれました。そこでわかったのはここにあったダイビング・サービスは既に無く、南アから旅の途中で立ち寄ったインストラクターが、細々と一人でやっていることでした。

彼いわく

 「ダイビング・ギアを他のホテルから借りなきゃいけない。明日はとりあえずシュノーケリングをしないか?その帰りにボートで寄ってギアを借りてこよう。」

 何ともいい加減な話ですが他に手はありません。翌日朝6時半に海岸へ出て、ボートで拾ってもらいました。ボートと言っても8人くらいしか乗れない小さなものです。風がかなりあり、波が高かったため、目的地の珊瑚礁に着くまでに1時間以上かかってしまいました。

着いた場所は小さな環礁で、一角に美しい島があります。この島は個人所有で宿泊もできるそうですが、1泊650ドルだそうです。早速シュノーケルを付けて飛び込みましたが、なかなか美しく、魚もミノカサゴや面白い模様のウツボもいて、結構楽しめました。

でも潮の関係か、30分位しか潜っていられませんでした。帰りは潮が引いて僕らのホテルには船が着けられません。タマリンド・ホテルで降り、そこからはバイクの後ろに3人乗り(違反です)をして帰ってきました。

さてその翌日。今日こそはと早起きしてボートで出かけましたが、あまりに波が荒く中止。またまたバイク3人乗りで帰還。

結局ダイビングができたのは大晦日、それも1本だけ30分程度でした。潜ったポイントはその名もJapanese Gardensと言います。浅場ですからもっと潜っていられるのですが、やはり波が荒く視界が5m程度と危険があったためです。海さえ荒れていなければ、ここは確かに築山のような珊瑚礁が砂の海底から突き出し、熱帯魚が乱舞する日本庭園だったと思います。運が良ければ巨大なシュモクザメも時々現れるようで、僕らが潜った数日前には漁師がこのあたりで3メートルくらいのサメを獲ったそうです。

うーん、燃焼不足で物足りない。いつかリターン・マッチに行かなくては。


猿を見に行く

ザンジバルはアラブ風の町と美しい海で有名ですが、実は見るべきものはそれだけではありません。バスコ・ダ・ガマがやってきた頃には既に繁栄していた港町ですから、古い遺跡も点在しています。僕は遺跡も好きで世界中あちこちで見ていますが、ザンジバルにあるものは規模が小さいためか、ほとんど訪れる人も無く、訪れる手段もありません。

さて僕がザンジバルでぜひ見たかったもの、それは猿です。ザンジバルにはザンジバルアカコロブスという、ザンジバルだけに住む珍しい猿がいるのです。動物好きの僕としてはこれは見逃せません。この猿は以前紹介したアリューシャ・ナショナル・パークに住むシロクロコロブスに近い種類ですが、赤毛で少し小型です。ザンジバルもかつてはアフリカ大陸と地続きで、そのころ渡ってきた祖先から、独自の進化を遂げたようです。

ザンジバル・レッド・コロブス・モンキーの親子

アカコロブスはザンジバル全域に分布しているそうですが、ここでも例によって人間との縄張り争いに負け、減少しています。確実に見られる場所は、ホテルから車で一時間弱の所にあるジョザニ森林保護区という所で、ここは猿だけでなく、わずかに残された学術的にも貴重な森林を、生態系ごと残す試みが行われています。

さて猿は意外なことに保護区の外で見ます。森の中にもいるのですが見るのは困難で、森から出てきて人をあまり恐れなくなっている群には近づくことができるのです。でも無論手から餌をやったりはできません。

猿は思っていたよりも小型で、西洋人が言う所の赤毛でした。元々樹上性の猿ですから、群は餌を求めて木から木へと飛び移ります。僕が見ている所から数メートルしか離れていないところを次から次にジャンプして行きます。でも子供を抱いた母猿だけは地面に降りてから移動して行きます。この群には約70頭いるそうですが、次々に目の前を通り過ぎていくのをうっとりと眺めていました。

人里に出た猿の群は、やはり近所の作物を荒らすそうですが、保護区の入場料から地域の人達にも利益を還元し、地域住民と猿との共存を図っているそうです。

日本ではサルの研究者は固体を識別するためによく名前を付けています。念のためにレインジャーに確めたところ、ここでは個々の猿には名前はついていないそうです。

あまり時間が無く森林の中には30分位しかいられませんでした。地下水位が数十センチという立地に成立した珍しい森林です。落ち葉を踏みしめて歩いていると、足元で1センチほどの黒いものが跳ねます。コオロギかと思いましたが、よく見ると小さなカエルでした。そしてそのカエルを狙う、20センチほどしかない、小さな黒いヘビがいるのには驚きました。機会があればカメラ一式揃えて再度訪れたい、素敵な場所でした。


新年を迎える

大晦日になりました。この日の晩は予約が一杯だ、といわれていましたから、「ひょっとして出て行かなくてはいけないのかなあ?」と心配していました。実はダイビングのインストラクターが、「倉庫に寝てもいいよ。」と言ってくれてはいたのですが、何しろ扇風機もない場所なので、躊躇していたのです。

ところが宿の人いわく、「確認してこない予約を一つキャンセルしたから、いてもいいよ。」これで年もおしつまったところでねぐらを探して歩かなくてもいいことになりましたが、キャンセルされてしまった人は大丈夫なのだろうか、とちょっと心配になりました。

夜のディスコ会場となったバー

さて大晦日の晩は再びビュッフェ。「近所の人達も来て踊る」と言うので「また太鼓叩いてローカルダンスかな?」と思っていたところ、違いました。オープン・エアーのバーに大型スピーカーを据付け、ストロボ・ライトまで入れてディスコ大会が始まりました。

「おおっ!ディスコ!」と思っていたら来ました来ました、近所の人達。でもなぜか男性ばかり。女性はただの一人も来ません。イスラム教徒だからでしょうか?黙って男達だけが激しい音楽に体を揺らせているのは、ちょっと不気味で、僕たちは早々に部屋に引き揚げてしまいました。

夜もふけて12時近く、近くのイスラム教寺院から除夜の鐘の音が聞こえてきました(ウソ)。マネージャーが「そろそろ新年だよ!」と客を叩き起こしてまわっています。僕らもどれどれと、様子を見に出かけて行きました。

さて会場に戻ってみると、宿泊している白人が何組か踊っています。その一組は、なんと男性がスーツ、女性が黒のイブニング・ドレスです。普段着のまま周りで黙々と踊り続ける黒人男性達。その中で服まで決めて自分達の世界を作っている白人の二人。なんだか見てるだけでこっぱずかしくなってしまった日本人の男二人。この異様なディスコの中で、僕はそれでも体を動かして踊っているふりをしている内、いつのまにか年が明けました。

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