Vol.21
5 January 1999

重大事件

 日本でも報道があったように、昨年8月にナイロビとダルエスサラームで、アメリカ大使館を狙った爆弾事件がありました。タンザニアでは、爆発がケニアほどの町の中心ではなかった事と、爆弾が路上で爆発した事で、ケニアよりは被害が小さかったようです。それでも10人もの方が亡くなりました。

 事件の当日から、多くの方からメールで「お住まいの場所は安全ですか?」という問合わせを頂きましたが、モシはナイロビとダルエスサラームのほぼ中間、両都市とも数百キロは離れていますので、直接の影響はありませんでした。

 実は当日ダルエスサラームで会議が予定されていたのですが、僕ではなく、同僚に出席してもらうことにしていました。従って僕の同僚は爆破当時、ダルエスサラームにいた訳です。事件の直後から周辺の道路は警察によって閉鎖され、ダルエスサラームの交通は一時的に混乱したようです。無論この事件で会議は延期になりました。

 その後9月の初めに延期になった会議に出るためにダルエスサラームへ向かいましたが、道中の取り締まりが強化された様子も無く、市内も平穏でした。ただアメリカ大使館の脇には土嚢が積まれ、その向こうには道路に向けて機関銃を構えた海兵隊員の姿が見えました。周辺の建物は、屋根瓦が飛んだり、窓ガラスが割れたりしてものが多かったようです。1kmあまりも離れた国際協力事業団の事務所でも、ガラスが一枚割れたそうですから、爆風は相当強かったようで、亡くなった方が10人と言うのはむしろ奇跡に近かったのかもしれません。

 報道されているように、どうやら犯行は反米的なイスラム教過激派組織のようですが、ケニアやタンザニアはこうした組織から恨みを買ういわれはなく、単にどんな人種の人間がいても怪しまれない場所、そしてアメリカ大使館の警備が手薄な国が選ばれたのだと思います。

 タンザニアでは事件の直後に容疑者を何人か逮捕した、という報道がありましたが、その一人は明らかに誤認逮捕だったことがわかった、という報道があって以降、どうなったのかニュースがありません。


 さてもう一つの重大事件と言えば、これも報道で皆さんもうご存知だと思いますが、9月17日に、7月に着任されたばかりのJICAの専門家の方が、夜強盗に襲われて、ダルエスサラームの自宅の門の前で射殺されたことでした。亡くなられた花岡さんとは9月の初めの会議で初めてお会いし、挨拶を交わしたくらいで、お付き合いはありませんでした。

 事件のあった翌日、18日に僕は一時帰国をするためにキリマンジャロ空港を発ったのですが、その直前にJICAから緊急連絡が廻ってきました。先の爆弾事件の後で、タンザニア国内にいる邦人の緊急連絡網の見直しがあったのですが、そこに初めて流れたニュースが、言わば仲間の死を告げるものであったことは、いささかショックでした。花岡さんもやはり協力隊の経験者で、その後JICAの専門家になられた経緯があり、着任直後で活躍する機会も与えられないまま、不幸な目に合われてしまったことは痛ましい限りです。


 これらの事件のために、タンザニアは相当に危険な国だという印象を日本にいる人たちは持ってしまったようですが、そんなことはありません。無論犯罪は多くありますし、注意を欠かせないのは事実です。僕なども、必ず仕事からは暗くなる前に家に帰りつくようにしています。でもこれはどこでも必要な、基本的な、途上国では常識レベルの注意です。

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