Vol.4
15 June 1996

期待と現実

 「あの人なら、きっとわかってくれると思っていたのに!」といった人生のすれ違いはよくあります。期待を裏切った彼氏と、期待をかけた彼女とではどちらが悪いか?は「二人で勝手に決めてくれ」というのが結論でしょう。さて思わせぶりな書き出しですが、別に僕自身のこの種の体験を披瀝しようという訳ではありません。

 先日プロジェクトでこれに似た?ことがありました。今調査のために村を廻り、村人の話を聞いています。ある村で「プロジェクトは何をしてくれたか?」と尋ねた所、「なーんにも。」という返事でした。これを聞いて怒ったのがプロジェクトの普及部門です。

 「あの村には苗木を配布して、木の植え方を教えて、その後2回も様子を見に行っているのに!」確かに普及部門の働きぶりは大したものです。でも普及の仕事を評価するのは普及部門自体でも、僕でもなく、普及の対象となる農民自身のはずです。農民が彼らの努力に報いず、「なーんにも」という評価を下したのはなぜでしょうか?

 このプログラムは、苗木を必要な村の代表が種類や数をまとめ、プロジェクトに手紙でリクエストをする、プロジェクトは要請された苗木を村に配布し、植え方を教える、というものです。確かに普及部門は彼らが決めた手筈通りにしました。村の側も言われた手筈通りにしました。では何がいけなかったのでしょうか?

 良く考えてみましょう。まず村人の要求を代表者が取りまとめる、ここでは「村の代表には村人の要求を把握し、まとめる能力がある」のが前提です。プロジェクトに手紙を出す、ここでは「村の代表が手紙を書くのに慣れており、要請をうまく手紙にまとめる」そしてプロジェクトが「手紙だけから村人の要請を正確に読み取る」のが前提です。要請された苗木を配るには「プロジェクトがその苗木を揃えている」必要があり、植え方を教えるためには「村人がいつどこに何のために植えるかを知っている」のが前提です。

 どうですか?こんな一見単純な作業でも、実際には多くの前提条件が整っていないとうまく行かないことがわかると思います。細かく見れば前提条件はさらに増えるでしょうし、他にも隠された前提条件があるかもしれません。この内一つでも欠けたら、苗木配布計画はうまく行かないだろうし、そして多分それが現実に起っていた事だろうと推測しています。

 なぜならこの村にはなんと50年も前に植えられた木が存在します。つまり普通に植えるだけなら村人はできるし、現実にしてきています。良く聞いてみると村人が今植えたいのは田んぼの畦で土地の境界を示す木や、防風林だそうです。そしてそれを普及部門は知りませんでした。「なぜプロジェクトへの手紙で知らせなかったのか!」と責める事は本末転倒です。「知らせてくれない」のが実際の前提条件ならば、それに合わせた計画をこちらが用意しなくてはいけないからです。

 この話は拙著「開発フィールドワーカー」に収録しています。

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