Vol.8
15 December 1997

サメの乞食

 タンザニアは一人あたりのGNPではモザンビークに次いで世界で2番目に貧しい!という話があります。ちょっと前まで内戦に明け暮れていたモザンビークが貧しいのはしかたがないとして、同じように内戦状態だったルワンダやアンゴラよりも貧しいと聞くと、ちょっと悲しくなってしまいます。でも、金の無い(従ってGNPが低い)ことと貧しいことはちょっと違うのではないかと思います。タンザニアは最近複数政党制へ移行したばかりで、まだ建前上は社会主義国。貧富の差はお隣りのケニアよりはずっと少なく、従って乞食も少ないのです。

 しかし先日初めてサメの町で乞食に出会いました。ガソリンスタンドで燃料を入れていると、ぼろぼろの服を身にまとった男が近づいてきて、何と流暢な英語でせつせつと窮状を訴えるのです。めがねをかけたその男、顔つきもかなりインテリっぽいもので、英語も大した物でした。また言うことが「せめて5000シリングでもくれないか。」日雇いの一日の日当が1300シリングです。「こいつ何寝ぼけたこと言っているんだ?」てなものです。

 彼がサメの町唯一人の乞食だそうですが、あの教養の高さから言って仕事も簡単に見つかりそうなものなのに、ちょっと不思議な乞食だと思っていました。後で聞いた話だと、彼はかつて首都の結構いいホテルで働いていたのだそうですが、精神状態がおかしくなり、職を失って帰って来たとのことでした。

 サメの町から40kmほど南下したところにヘダルという小さな町があります。ここは長距離トラックの運ちゃんが泊まる町として成り立っているのですが、そのために売春婦が集まり、AIDS が蔓延している、と言われています。でも何もしなければ AIDS なんて恐くありません。このあたりには他に食事ができる町がないので、仕事の都合で僕らは昼食を時々摂ります。

 ある日のこと、いつも入っている大き目の飯屋に食べ物がなく(よくある話なんですが)、それまで入ったことのない町外れの小さな店に入りました。食事は意外においしかったのですが、その内、ぼろをまとった大男がやってきました。ものすごく明るく、スワヒリ語で何かまくしたてていますがわかりません。店の人が彼に食事を出してやり、彼が土間に座って食べ始めたところを見ると、どうやらこの町にいる乞食のようです。

 さて食事が終わり、外へ出ると、一足先に食べ終わっていた乞食のおじさん、いきなり僕らに握手を求め、さらに抱き付いてきました。どうやらこの人、乞食というよりはやはり精神状態がおかしくなっているようです。抱き付かれるのはかないませんが、こうした精神を病んだ人でも社会の中で生きていけているというのは、タンザニアの地域社会自体は病んでいない証拠だと思うのですがどうでしょうか。

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