Vol.7
10 May 1997

ザンジバル

海から見たザンジバル

 日本に一時帰国する前のことになりますが、週の最後にダルエスサラームへ出張する機会があったので、土曜日にちょいと足を延ばし、ザンジバルへ行ってきました。ザンジバルはアフリカ本土から離れた大きな島で、ダルエスサラームからは毎日何便もの船が出ています。高速なフェリーで1時間半、僕が使った水中翼船だと約1時間の船旅です。このほかに飛行機の便も出ており、モシからはチャーター便の小型機が飛んでいます。

 ザンジバルはアフリカ本土とは違い、植民地化されるまではオマーン出身のアラブ人のスルタンが治めていました。スルタンはクローブを始めとする香辛料や、アフリカ本土からの奴隷を売買する権益を一挙に握っていたわけです。植民地となってスルタンは実権を失いましたが、この構造は独立直後に革命が起こるまで続いていたそうです。

 民族的にもアラブ人のほか、アラブとアフリカ黒人の混じったようなスワヒリと呼ばれる人たちが住んでいます。そう、東アフリカの共通語であるスワヒリ語は元々ザンジバルを始めとして、ケニアやタンザニアの海岸沿いや島に住んでいる彼らの言葉で、これが内陸部への隊商のルートなどを通じて広がったものだそうです。

 スワヒリ語にもいろいろな方言があるそうですが、ザンジバルのものが一応正統とされているようです。またかつては、日本のからゆきさんがザンジバルにも何人かいたという記録もあります。当時は香辛料と奴隷の貿易で栄えていたザンジバルの方が日本よりよほど先進国だったのでしょう。

 さてこのザンジバル、現在も大陸とは一線を画しています。まずタンザニアという国は正式にはタンザニア連邦で、その名前は大陸側の旧名タンガニーカと、ザンジバルをくっつけたものです。政治的にも行政的にも独立性が強く、僕らのようなタンザニアでの居住ビザを持っているものでも、ザンジバルへ行くにはパスポートを持参する必要があり、ザンジバルの港で出入国検査を受けなくてはなりません。

 ザンジバルで有名なのはアラブ風の街並み、インド洋の美しい海、スパイス・アイランドと呼ばれるほどの香辛料の木々、などですが、無論土曜日一日だけの日帰りで全部楽しむことはできません。今回は港から最も近い街並みの散策に的を絞りました。

 アラブ風の街並みというと「異邦人」のメロディーとともに迷路のように入り組んだ市場を思い浮かべますが、ザンジバルではこれにインド洋の香りが加わっていると想像して見てください。隆起珊瑚礁から切り出した石灰岩で作られた壁、南洋の大きな木を挽いて精巧な彫刻を施した扉などなど。どこからか流れてくる食べ物の匂いも無論さかな臭さが混じっています。同じスワヒリ人の住むケニアのモンバサやラムにもよく似た街並みがありますが、ザンジバルが最大です。

 迷路の中には古いモスクや、ペルシャ人が作った浴場、かつての奴隷貿易の中心地、由緒ある教会など見所が多いのですが、何しろ地図を持っていても簡単にわかるような代物ではありません。そのため途中で見つけた観光案内所で、ガイドを頼むことにしました。

 それぞれの歴史的な建物は起源がそれほど古いわけでもなく、スルタンの館やペルシャ風の浴場など文化を垣間見れて面白いものもありますが、でも全体的には大したことはありません。この街の楽しみかたは日本の観光客がやる拠点直行型では味わえず、迷路をさ迷い歩くことにあるようです。

 伝統的な建物や装飾を施した木のドアは減ってはいるそうですが、まだまだ不規則に交差する道をうろつくと、生活の匂いがし、小さな商店が軒を連ねていて楽しいものです。ごみごみした細い路地の中に何件もの貴金属商があるのがさすがにアラブ系の街です。

タンザナイト copyright© Since 1996 Hitonomori Co. Ltd.