Vol.20
25 June 1998

さようならコンスタ

 僕は最近まで知りませんでしたが、タンザニアの公務員の定年は、なんと55歳だそうです。55歳の誕生日がきたらその日付で退職だそうです。日本ならまだまだ働き盛り、のはずですが、でも日本の役所でも肩叩きが始まるのはこの頃みたいだから、大差はないのかな。

 さて先日、僕らのプロジェクトのスタッフも一人55歳の誕生日を迎えて退職しました。通称コンスタ、本当はコンスタンティンというのが、彼の名前です。林業訓練校で教鞭を取っていたこともある人ですが、なぜかプロジェクトには管理部門のスタッフとして配属され、実務部門にタッチできないのを本人は面白く思っていなかったようです。

 こちらでは退職当日まで勤め上げる、なんていうことはしません。あるいはできません、と言った方がよいかもしれません。コンスタも、退職の数ヶ月前から貯まっていた有給休暇を消化し、姿をあまり見掛けなくなりました。またそれが終わっても、ダルエスサラームに出かけているとかで、なかなかプロジェクトにやって来ませんでした。

 退職前の公務員は何日かかけて必ずダルエスサラームに行くようですが、何と、自分のファイルを探し出して担当者を廻り、退職金が確実に支払われるようにするためだそうです。ぼんやりしていると手続きが進まず、あるいは国庫にお金が足りなくて、退職金が出なくなってしまいます。コンスタが自分の退職金を確保したかどうかは聞き漏らしましたが、要領のいい彼のことですからきっと大丈夫でしょう。

 さてプロジェクトでは人が出て行く時には必ず送別会を催します。コンスタの時もサメの町中に場所を借りて一席設けられました。会費は一律一人5000シリング。僕ら日本人にはそれ以上の寄付が求められますが。食事に飲み物、それに会場の借り賃と、ゲストへの記念品代などが含まれます。

 給料の安い人は月35000シリングですから、こちらの人にしたらとても高い額です。即金で払えないスタッフがかなりおり、僕ら日本人に借金の申し込みが来ます。「そんな借金しなきゃいけないような会費をどうして設定するのか?」と思いましたが、金額はトップダウンで決められたようで、さすがに多くのスタッフは不満を持っていたようです。

 送別会の当日は、午後3時からの開始だというのに、朝から多くのスタッフの姿が見えません。なんでも経費を少しでも浮かせるために、スタッフ自らが調理をしたりしているのだそうです。勤務時間中にやっているわけですから、プロジェクトにとってはちっとも経費を浮かしたことにならないのですが…。でもそんなけちなことを言ってはいけないんでしょうね。

Consta 夕方会場に行ってみると、音響機器が運び込んであります。これは最後にみんなで踊るためのものです。着席して待つこと2時間。予想はしていましたが、やっぱり遅れて会は始まりました。一応式次第が決まっており、司会が進行を務めています。来賓の挨拶、記念品の贈呈などとプログラムは進みます。そして送られるコンスタの挨拶です。

 「皆さん、今日はどうもありがとう。また女房の分までプレゼントをいただいて、感謝の念にたえません。でも皆さんにはずっと女房の数を二人だと言ってきましたが、実は三人いるんです。三人分無いとちょっともめるかもしれません。」

 これにはみんなびっくりすると共に大爆笑。いつもユーモアを絶やさず、でもちょっぴり皮肉屋のコンスタはこうして去って行きました。

 後日談。退職して一ヶ月ほどして後、コンスタがプロジェクトに姿を現しました。何かと思ったら、プロジェクトの畑にまだ彼の作物があるのでそれを収穫しに来たとのこと。おおらかな国です。

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