Vol.18
15 March 1998

半乾燥地の技術

 僕らが仕事をしている現場は、気候区分で言うと半乾燥地、とされています。英語ではsemi-arid landです。さてこの半乾燥地、日本人にはとんと馴染みがありません。植生で言えばサバンナなのですが、ヌーやシマウマなど大型の草食獣や、それを狙うライオンなどの肉食獣が駆け回る大草原ではありません。実を言うとこうした大草原も火入れなどで人為的に維持されている場合も多いのですが。まあその話は別の機会にするとして、話を戻すと、僕らの現場は草地ではなく潅木林が続く地域です。ここに生えるのは乾燥した環境に適応したアカシアを始めとする棘の多い植物たちです。

 さてこの日本人に馴染みの無い半乾燥地、僕はケニアも含めて6年以上係っていますが、段々特徴がわかってきました。雨が少ないのはもちろんですが、それだけではないようです。僕らの現場では少ない年には年間の雨量が200mmを切りますから、この数字では潅木林と言えども、森林はほとんど成立できないはずです。ではどうしてまかりなりにも森林(と言っても潅木林)が成立できるかと言うと、どうやらたまに雨が多く降る年があるからのようです。

 日本の雨量は多くの場所で年平均2000mm弱だったと思いますが、仮に±500mmの変動があって1500mmから2500mmだったとしても、木の成長にはさほど影響はありません。ところが同じ±500mmを半乾燥地で想定した200mmの年と、1200mmの年とでは、物凄い違いがあります。これは多くの木にとって生きられるかどうかの限界線を挟んだ数値となります。

 半乾燥地に適応した木は、ある程度大きくなると根が発達してかなりの乾燥に耐えられますが、稚樹の頃はそうは行きません。やはりある程度の雨が無いと発芽できないし、もし発芽できても根が十分成長できる以前に枯れてしまうのでしょう。

 さてこれが半乾燥地で木を植える僕らの仕事にどういう影響を及ぼすのでしょうか。砂漠で木を植えることを考えてみて下さい。砂漠では最初から雨が期待できませんから、それなりに水をやったりすることを考えなくてはいけません。イスラエルやアラブの産油国では、点滴灌漑と言いますが、ホースを張り巡らして少量の水を常に供給しておく技術が使われています。ところが半乾燥地では中途半端に降りますから難しい所です。

 さらに事を難しくしているのは、実は僕ら日本人の中に刷り込まれた感覚です。日本では毎年ある程度の雨量や日照を期待して農業や林業を営んでいます。無論年によって変動はしますが、それは先に書いたように、いわば「誤差の範囲」として扱えるものです。そして多雨や冷夏は例外として扱われます。

 つまり僕らは毎年同じような条件が繰り返される環境で、毎年同じような成長量、収量を期待し、そのような技術を発展させてきたわけです。平年並み、なんていう言葉があることを考えればわかりますよね。半乾燥地で技術開発を行なう時にも、今までは毎年同じような結果を期待して技術を開発していたように思います。

 ところが先に書いたように年による変動が激しいのが半乾燥地の特徴です。今までいくら頑張っても、多大なお金をかけて水をやらない限りは毎年同じ生存率、成長量は達成できませんでした。水が無いと200mmでは植栽した木はほとんど全滅します。逆に1200mmだと手をかけなくてもどんどん成長します。こうした環境では、毎年同じ成長を期待するのを止め、年によってかなりのばらつきがあることを前提にした技術体系を組みたてられないか、そうしたことを今考えています。

 例えば、200mmの年には全滅することを計算に入れた上での技術を考えてみましょう。毎年一定量の成果を確保するための技術とどこが違うでしょうか?一番の違いはリスクだと思います。水をやる技術、これは余分に多大な投資をすることによって天候上のリスクを回避するものです。でも貧しいタンザニアでお金をかけてリスクを回避することができないとしたら、逆にリスクを織り込んだ技術を創り出さなければなりません。

 ではリスクを織り込んだ技術とはどんなものでしょうか?それは別の言葉で言えば、失敗しても最低限の被害で済む技術です。今までの技術はこれに対して生産量を最大にするための技術、と言えるでしょう。

 まず最初にリスクを織り込んだ技術を開発し、それにたまに来る、雨の多い年という限られたチャンスを最大限に生かす機能を付け加える、それが半乾燥地での、コスト分析まで計算に入れた技術体系になるのではないかと考えています。でも残念ながら僕らのプロジェクトにはそうした新しいアイデアを試す時間が残されていません。

タンザナイト copyright© Since 1996 Hitonomori Co. Ltd.