Vol. 1
5 February 1996

家を決める

My house
 家を決めるのは何度やっても面倒くさいものです。オーストラリアのメルボルンで家を探した時は不動産屋周りをして決めましたが、ここタンザニアのモシには賃貸物件を仲介する不動産屋はなく、すべて人の紹介を受けて探すことになります。

 空き家は意外に多いのですが、人がしばらく住んでいない家はやはりかなり荒れています。さらに「あそこの大家は良くない」とか、「あの地域は水が出ない」とか、いろいろあって気に入った家はそう簡単には見つかりません。電話も問題で、新規に電話を引く申し込みをすると、数年間待たされたと言う例もあったそうです。

ダイニング・ルーム
 僕もあちこちを見て迷いましたが、結局ほとんどの日本人が住んでいるシャンティ・タウンという、英語の名前とは裏腹の高級住宅街ではなく、普通のタンザニア人が住んでいる地域の家を選びました。

 シャンティ・タウンの家は一般的に庭が広く、古くからの高級住宅街のため大きな木が生育していたりと魅力的でしたが。実は一度はシャンティ・タウンにある僕の前任者の家にしようと決めましたが、大家さんが外国で仕事をしていて簡単にコンタクトが取れないことから話が進まぬままになっていました。

 そんなところに一度見て断った家の大家さん(女性です)に、「家賃もおまけするし、家の周りも奇麗にしたからもう一度見て!」とホテルにまで押しかけられて頼まれ、結局もう一度見に行きました。

 その家で気になっていた点は、舗装道路から少し奥まったところにある為のアクセス道で、最初ほとんど畑の中の轍しかありませんでした。雨が降ると泥濘と化しそうだし、大体この畑は誰の土地なんだ?というわけです。

 でも話をあらためて聞いてみると、道の土地は大家さんが買ったもので、また家に入る人が決まれば道に砂利を敷くと言ってくれました。うまいタイミングで電話も入ったと 言うし、この熱意と、自分の家に対する愛着を信じてここを借りることにしました。

 とりあえず手付金を払うと、彼女は本当にすぐ砂利を手配し(でも取り付け道路を入ってくるのはやはり四輪駆動車じゃないときついかもしれません)、車庫の建設に着手しました。この素早さは普通のタンザニア人大家では考えられないことです。

我が家見取り図 大家さんは30代前半、地元に住むチャガ族の一家の出です。流暢な英語を話しますが、旦那さんはノルウェー人で、彼女も家の借り手が見つかり、整備が終わるまでのタンザニア滞在だそうです。

 サウジアラビアでなぜかケニア大使館の秘書として働いたり、イギリスで英語学校に通っていたこともあり、ノルウェーで家屋の清掃の専門の資格を取り、働いてお金を貯め、今の家を建てたそうです。

 身長は180cm近く、すごいグラマーで(ただしアフリカ的な)、なかなかの美人で、僕の借りた家も以前からモシに住んでいる日本人の間では通称「美人の家」と呼ばれていたようです。

 僕の家は他の日本人が借りている家に比べ庭が狭く、それほど大きくはありませんが(でも日本と比べたら多分邸宅です)、建物自体は比較的新しく奇麗です。二階建てで主寝室が二階にあります。

 一軒家を借りるのはネパールで暮らしていた時以来ですが、ネパールの時は3階建てとは言え今にも壊れそうな家で、一番下は牛小屋、一番上は屋根裏でした。周りにはタンザニア人ばかりが住んでいて外人はいませんが、むしろ金持ちがかたまって住んでいる所より、一般人が住んでいる所の方が安全だという説もあります。

 上の家の写真でも、よく見ると鉢に植えられた観葉植物がたくさんある事が分かると思います。庭はよく手入れされており、花も色々植えられています。天気のいい日にバルコニーでお茶でも飲むと、鳥の囀りもいっぱいで、それはそれは気持ちのいいものです。

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